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2008年03月 アーカイブ

2008年03月10日

カール・ライムント・ポパーの生涯

こんなに偉大な事を成し遂げた人だったのですね。
本当にビックリです。


カール・ライムント・ポパー(Sir Karl Raimund Popper、1902年7月28日 - 1994年9月17日)は、オーストリア出身イギリスの哲学者。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授を歴任。20世紀の科学哲学の分野で最も著名な哲学者のうちの一人である。社会哲学や政治哲学にも精通していた。純粋な科学的言説の必要条件としての反証可能性を提唱した。精神分析やマルクス主義を批判。ウィーン学団には参加しなかったものの、その周辺で、反証主義的観点から論理実証主義を批判した。また、「開かれた社会」の思想的土台としての自由民主主義と社会批判主義に積極的な考察を加えた。


ポパーは1902年にウィーンの中流家庭で生まれた。元来がユダヤ系だった両親はキリスト教に改宗しており、ポパーもまたルター派の教育を受けた(ちなみに彼の父は愛書家で、書斎には1万冊もの本を蔵していたらしい。)。1928年にウィーン大学にて哲学の博士号を取得し、1930年からの6年間、小学校で教鞭を取った。その1年後、『Logik der Forschung/科学的発見の論理』で心理学主義や自然主義や帰納主義それから論理実証主義を批判した。また、言説が科学たらしめられるところの必要条件としての反証可能性を理論として発展させた。

1937年、ナチスによるオーストリア併合の脅威が高まると、ニュージーランドに移住し、クライストチャーチにあるカンタベリー大学で哲学の講師となった。『開かれた社会とその敵』 (The Open Society And Its Enemy) はこの時代に執筆されたものである。

大戦が終わるとイギリスに移り、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスにて科学的方法の助教授を経て、教授となった。1958年から1年間、『アリストテリアン・ソサイエティ』誌の編集責任者を務めた。1965年には女王エリザベス二世から爵位を授与され、11年後には英国学士院の正会員となる。学界を1969年の時点で退いてはいるものの、彼の学術的影響は1994年に亡くなるまで絶えることがなかった。また彼は人本主義学会の会員でもあり、ユダヤ教やキリスト教の道徳教育を顧慮しながらも自らを不可知論者と称していた。

ポパーの影響を受けた哲学者として、イムレ・ラカトシュ、ジョン・ワトキンス、ポール・ファイヤアーベントらがいる。経済学者フリードリヒ・ハイエクとは友人関係だった。投機で巨万の富を得たジョージ・ソロスもかつて彼から学んだ経緯から多大な影響を受けている。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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帰納のいみ


ほうほう、こんなことだったですね。
たいぶ昔に習ったことだから忘れてしまっていました

一般的にいって帰納は、あくまでも確率・確度といった蓋然性の導出に留まる。例えば、「ネコaはネズミを追いかける」「ネコbはネズミを追いかける」「ネコcはネズミを追いかける」という事例が幾つかあるので、「全てのネコはネズミを追いかける」と結論を下すとしよう。ここでは、自分が見たネコだけから「全てのネコ」という全称命題に範囲を飛躍させている。しかし、この先新たにネズミを追いかけない猫が発見される可能性は常にある。したがって、「全てのネコはネズミを追いかける」と定式化することには疑問が残る


さらに例を挙げよう。地上で太陽を観測し、三日かけて次の観測事実を得たとする。「おとといも、昨日も、今日も、太陽は東の高い山の脇から上ってきた。」。ここから次のように結論するのが枚挙的帰納法である。「太陽はいつも、東の高い山の脇から上る」。

[編集] 帰納法の欠点
確証性の原理をとるにせよ、斉一性の原理をとるにせよ、帰納法で仮説を正当化する企ては、なんらかの壁にぶつかるのである。

帰納法が間違う有名な例として、「ビールには水が入っている」、「ウィスキーにも水が入っている」、「ブランデーにも水が入っている」、よって「水を飲むと酔っ払う」というものがある。

データから理論を導き出す試み、すなわち帰納的推理はベーコンらによって始められ、J.S.ミル『論理学体系』においてある程度体系化され、その後近代論理学や統計学と結びついて研究されている。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年03月18日

廻しの取り扱い

洗わないの?
洗わないことにびっくりです。


着装の際には通常補助者を必要とし、以下の手順で着装する(アマチュア用木綿廻しの場合)。

幅45cm前後×自分のウエストの4?5倍の長さの廻しを用意する。
廻しを幅方向で二つ折りにし、さらにもう一回二つ折りにする(四つ折り、幅は11cm強)。
一端を二つ折りに戻し、前袋となる部分を作る。戻す長さはおおよそ先端が肩に掛かるくらいか口に咥えられる程度であるが、体格その他で変わってくるため、初めての場合は試行錯誤が必要である。
二つ折りに戻した部分を腹に当て、陰部を覆い、腰に巻く分を後ろに出す。
尻の割れ目に掛かる部分を補助者にさらに二つ折りにしてもらい、尻の割れ目を通す。この部分が後立褌(うしろたてみつ)となる。
後立褌を作った残りの部分は四つ折りのまま、右臀部の上を通して水平に方向を変え、そのまま腰を一周させる。その際廻しはなるべく腰骨の上に掛かるように巻き、へその下を通すようにする。
前袋側の端を上へ少し引き上げてから下に垂らし、その上に二周目を巻く。この下に垂れた部分を前垂れと呼ぶ。
三周目を巻く。その際前垂れを四つ折りに戻すなどして畳み、三周目の横廻しの下に挟み込む。三周目の巻き終わりは、おおよそ右腰まで届く程度残っていればよい。
補助者は、後立褌の下に巻き終わりの先端を通して上に引っ張り上げる。着装者は腰を落とし締め上げる。ここを疎かにすると競技中に廻しが解けてしまう原因となる。ただし体に負担が掛かるほど締め上げる必要はない。
先端を後立褌に入っていくところを利用して結ぶ。大幅に余った場合には切り取ってしまう事もある。
着装時には下に何も着けないことが原則であるが、力士の場合は化粧廻しを締める際には下に六尺褌を締めているといわれる。

締め込みは材質の問題から、帆布の廻しはへたってしまうため、また験担ぎの意味からも廻しは基本的に洗濯をしない。ただし、木綿製のものは新品だと型崩れ防止のため洗濯糊で糊付けされている場合があるので、これを落とすために洗うことがある。

洗濯しない理由は、特に安価な木綿廻しの場合、使用に耐えないほどの汚れの場合には廃棄して新調してしまうからという側面もある。洗濯を実施している相撲教室などもある。

なお、洗濯しないからと言って湿ったまま放置して良い訳ではなく、使用後は泥を落として天日干しをすることが推奨される。前袋、立褌になったところの内側(陰部が当たっていたところ)を消毒用アルコールで清拭することもある。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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